日系カナダコミュニティの年に1度の祭典「パウエルストリート・フェスティバル」が、今年は毎年主要会場として利用しているオッペンハイマー公園を利用しないで開催されることが分かった。
フェスティバルを主催する実行委員会が声明で、現在オッペンハイマー公園で生活しているホームレスの人々に影響を与えないよう、公園内は使用せず、公園の周りで行うと発表した。
ホームレスの人々への配慮から同フェスティバルが公園使用を断念したのは2014年以来2回目となる。2014年はホームレスの人々がデモとして公園を占領。200以上のテントが張られていた。
今回の事態にバンクーバー市の公園を管理する公園庁ストゥワート・マッキンノン委員は、市やブリティッシュ・コロンビア州政府、連邦政府が協力して積極的にホームレスの人々が生活できる環境を整備すべきと地元メディアに語っている。
現在公園には約100以上のテントが張られていると説明する。公園は市民の憩いの場として提供されるべき場所で、安全でなくてはならないと語り、現状では公園を利用したい人も、テントを張るホームレスにも決して安全とは言えないと主張した。
日系カナダ人コミュニティが築いてきた戦前からの日系の街
オッペンハイマー公園周辺は、戦前日系人コミュニティがジャパンタウンを築いていた地域。1941年12月に起きた日本軍の真珠湾攻撃をきっかけに、カナダ政府が実施した日系人強制収容政策で、ここで生活していた日系人たちはこの地を離れることを余儀なくされた。
以降、二度とこの街が日系コミュニティの中心地となることはなかったが、バンクーバー日本語学校並びに日系人会館(アレキサンダー日本語学校)やバンクーバー仏教会が復活し、パウエルストリート・フェスティバルが8月第1週末に開催されるようになり、再び日系カナダ人コミュニティに親しまれる地域となってきた。
しかし、ダウンタウン・イーストサイドにあたるこの地域は、戦後ホームレスが集う地域となり、最近進むバンクーバー市の都市開発計画でホームレスの人々の居場所が狭くなり、現在のように公園にテントを張り生活する人々が増えている。
オッペンハイマー公園は戦前にはバンクーバー朝日のホームグランドとして、日系コミュニティだけではなく、バンクーバー市民が野球を楽しんだ場所。
市、州、連邦政府の協力なくして現在の状況を解決できる方法はなく、毎年フェスティバルを楽しみにしている市民のため、ホームレス問題を解決するためにも、早急な対策が必要となる。